映画「テレビジョン」から見るベンガル人のヒンディー化
映画「テレビジョン」では、ヒンドゥー教徒とイスラーム教徒の共生がきっかけとなって、宗教信仰により一つにまとまっていた村に徐々にひずみが生じていく様子が「テレビジョン」という一つの文明の利器を通して巧みに描かれていました。挿入されている音楽や、カメラワークも非常に考え抜かれており、ぜひ、みなさんにおすすめしたい映画の1つです。
しかし私は、この映画の最大の魅力として、こののち、村がどのような変化を経験し、どのように発展していくのかという結末が明示されないまま、終わっていたことをあげたいと思います。この後の展望を明確に描き出していないからこそ、自分の信条やコミュニティーについて再考するよう人々に訴えかけ、ベンガル人のみならず、この映画を見たすべての人の心を強くとらえたと考えられるからです。そこで、今回、実際の事例や調査報告を通して、この村がどのような変容を遂げると考えられるかを、
考察してみたいと思います。どうぞお付き合いくださいませ。
しかし私は、この映画の最大の魅力として、こののち、村がどのような変化を経験し、どのように発展していくのかという結末が明示されないまま、終わっていたことをあげたいと思います。この後の展望を明確に描き出していないからこそ、自分の信条やコミュニティーについて再考するよう人々に訴えかけ、ベンガル人のみならず、この映画を見たすべての人の心を強くとらえたと考えられるからです。そこで、今回、実際の事例や調査報告を通して、この村がどのような変容を遂げると考えられるかを、
考察してみたいと思います。どうぞお付き合いくださいませ。
【1】テレビジョンがベンガルの社会にもたらしたヒンドゥー化
そのうえで欠かせないのが、この映画のタイトルともなっている「テレビジョン」です。「テレビジョン」はベンガルの人々にどのように影響を与えたのでしょうか。Robaka Shamsher Mohanmad Nayeem Abdulla 教授が記した「Effect of satellite television on
the culture of Bangladesh」という論文から、少し概観してみましょう。
バングラデシュで従来より安いテレビジョンの販売や、チャンネル数の増加に伴い、テレビジョンは、もはや中級クラスの持ち物ではなく、社会階級が比較的低い人々も容易に手に入れることが可能になったので、テレビジョンは確実に普及しています。それに伴い、テレビジョンがバングラデシュの社会に及ぼした影響について、彼が2012年に行ったアンケート調査では興味深い事実が浮かび上がっています。その中で、テレビジョンを外国の文化を知る手段として用いていると回答した人は、全体の95%にも上り、新聞やインターネットと答えた人の数を大きく圧倒した。また、テレビジョンに影響されて変化した文化があるかという質問の答えを人数に基づいてランキングにすると、一位が「着る服の変化」二位が「外国の音楽への興味が生まれたこと」そして三位が「外国文化の流行を模倣するようになったこと」となったそうです。
実際に、この点は、別の論文でも指摘されています。※特に最近チャンネルの数が増加しているインドの文化の影響を強く受けていると述べています。「バングラデシュ人は、インド人のように飲み食いし、歩き、話し、買い物をし、眠るようになった。(中略)テレビジョンから伝わるインドの文化は子どもたちや女性たちに強い影響を及ぼしている。今までは、10代の男の子たちでさえ、ヒンディー語の映画を一本も見ることがなかったが、現代では、小さな子供から大の大人まで皆が映画を含むヒンディー語の番組を視聴できるようになった。これは、バングラデシュの文化ではなく、インドの文化の発展における成功といえる。」
ここでも言及されているように、テレビの普及に伴ってバングラデシュの人々がケーブル回線やDVDでインド映画を見る機会は急増しているのです。実は、映画館や公共施設でのインド映画の商業上映は、両政府間協議によって互いに禁止されています。双方の文化が相互にもたらす悪影響を懸念してのことでした。実際、インド映画の人気により、バングラデシュ映画は衰退しつつあります。その点、南出(2013)は、「バングラデシュ全体の年間映画製作数は減少傾向にある。五、六年前には年間百本程度であったが、現在は三十から四十本程度だという。(中略)バングラ映画にはヒーローと悪役がはっきりと示されるアクション系や、家族のいざこざと絆を描いた人情系の映画が多い。映画全体に占める割合としてはバングラ映画の方が多いが、そのバングラ映画が今減っている」と記しています。さらに、ヒンディー映画を好んで見る子供たちのベンガル語能力の衰退も危惧されている。ヒンディー語の番組を見て育った子供たちは、ベンガル文化の価値を認識しづらくなっているようです。先ほど※の論文では、バングラデシュの子供たちが、インドのテレビ番組で人気を博している俳優や女優のように話しふるまうことに危機感を覚えています。例えば、バングラデシュ人の女性たちが選ぶ洋服や髪形でさえ、インドの女優を模倣しようとするので、昔、ポピュラーだったバングラデシュのサリーはもはやだれも買いたがらなくなり、インドのサリーの人気に押されるように消えかけているのが現状なのです。
確かに、映画「テレビジョン」でも、村の若者たちが反旗を翻すシーンで、今までの身に着けていた伝統の衣装を捨てて、皆が洋服を着てスローガンを叫ぶ様子が印象的でした。先述の南出(2013)は、ベンガルムスリムの豊かさについて「ヒンドゥー文化を内包するイスラーム文化」と表現していますが、実際に「テレビジョン」という一つの文明の利器を通して、ムスリムのバングラデシュ人の中でヒンドゥー化現象が起こっている様子を考察できました。
次の記事は…映画「テレビジョン」の考察②ヒンドゥー教徒とのかかわりによるヒンドゥー化
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