【2】ヒンドゥー教徒とのかかわりによるヒンドゥー化
次に、この映画を読み解くうえで必要なもう一つのカギであるヒンドゥー教徒とのかかわりについて、考慮したいと思います。。
前の記事では、ムスリムが大多数を占めるバングラデシュの社会に目を向けてきましたが、ここでは、ヒンドゥー教徒がマジョリティーのインド、西ベンガル地域の一つの村に注目してお送りします。ちょっと、お堅めの記事なのですが、最後までお付き合いください。
まず、インドの宗教事情について触れておきたいと思います。2001年の国勢調査を見ると、都市部と農村部それぞれの宗教人口が発表されています。特に、農村部ではヒンドゥー教徒が約1870万人、イスラーム教徒が約340万人、キリスト教徒が12万人、仏教徒が8万人となっています。特に注目すべきは、スィック教徒とジャイナ教徒の信者の数が、農村部が都市部の5倍以上も大いということです。このように、農村部では、雑多な宗教事情が渦巻いていることがわかります。
その中で、宗教間のかかわりを特に指摘できる一例として、少数民族のサンタル人のヒンドゥー化を上げたいと思います。サンタル族は、もともとは、狩りや採集、移動耕作を生業とする自給自足の生活を送っていました。また、伝統的に、固有の信仰を持っていました。かつてはヒンドゥー社会と距離を置いて生活してきたサンタル族の人々も、都市化や貧困層の開発により、ヒンドゥー社会と近接して住むようになったのです。それで、近年、ヒンドゥーの仕事を手伝ったり、ヒンドゥーの小作人になったりするサンタル族の人々が増えてきました。この交流の中で、少数民族であるサンタル族が次第に高位カーストであるヒンドゥーの社会規範や考え方、儀礼を取り入れるという意味で、「ヒンドゥー化(Hinduized)」が起こるようになりました。特に、サンタル族のヒンドゥー化について「南アジアを知る辞典」では「部族主義的傾向で知られているサンタル族は、実際にはヒンドゥー文化の影響を強く受けており、比較的豊かなクラスの者はヒンドゥー高位カーストの慣習をいろいろ採用しているが、にもかかわらず意識面ではヒンドゥー化を拒否し、ヒンドゥーからの分離を強く志向している」とあります。
その一例として、サンタル人の女性たちのサリーの着方の変化が指摘されています。先ほどは、テレビジョンを通して、インドの女優を模倣したインド風のサリーが流行していると指摘しましたが、未だに電気が通っていない村で生活するサンタル族でも、この衣装という分野でヒンドゥー化が起こっているというのは、注目に値すべきことです。ヒンドゥー教徒の女性たちとサンタル族の女性たちのサリーの着用においては、布の巻き方、服の丈、選ぶ色など、様々な相違点があります。しかし、最近は仕事や、結婚式など改まった場の場合、サンタル族の女性たちがヒンドゥー女性のサリーの着方に倣うようになってきました。伝統的なやり方ではなく、ヒンドゥー女性の着方がサンタル女性の間では「正装」として意識され、日常生活の着方と使い分けているのです。この意識の変化について、千葉(2008)はこう解説しています。
「サンタル女性にとり、『ヒンドゥー女性の着方』が『フォーマルな着方』そして正装と位置付けられている。重要なのは、ヒンドゥー化とは単にサリーの着方の変化だけではなく、意識の変化とつながっていることである。すなわち上位の社会の着方をフォーマルな着方とし、自分たちの着方を普段着の着方とするというように、着方の間に上位・下位の位置づけがなされている点である。これは上昇志向として説明される。自分たちの文化を下位として位置付けるならば、次にはその文化を破棄するように力が働くであろう。そして民族のアイデンティティは失われる方向へ進む。」
サンタル族のヒンドゥー化が女性の服の着方に反映されているというのは非常に興味深い点です。なぜなら、服装、またその着こなしは人間の生活を支える衣食住のうちの一本の柱だからです。その根本がヒンドゥーとのかかわりによって影響を受け、ある面ではマイノリティである彼らの文化、さらに意識を変革していることが分かりました。
カースト規律が厳しいヒンドゥー社会の中で、少数民族は底辺に位置付けられています。それでも、サンタル民族の中で、民族のアイデンティティを求める動きがあることも知っておかなければなりません。例えば、アイデンティティを形成する大きな要因の一つである言語についていえば、ベンガル語を話す人々が増えてきた今、サンタル語を低学年の教育に用いるという画期的な学校の建設が始まっています。また、20世紀中ごろからは、伝統的な部族宗教を復活させ、ヒンドゥー教や、キリスト教の得ている地位まで、ステータスを高めようとする運動も見られます。このように、様々な「ヒンドゥー化」の波を受けてきたサンタル族ですが、もとから持っていた文化とヒンドゥー化のはざまにあって、自分たちのあり方を模索し始めているのです。
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