南アジア地域 人物図鑑
このコーナーでは、南アジア地域に造詣が深い方々にインタビューして、知られざるその魅力に迫っていきたいと思います。
記念すべき第一回目を飾ってくださったのは、東京外国語大学の藤井毅教授です。実は、このインタビューは、一年ほど前に行いました。ですが、インタビュー記事を掲載していたウェブメディアがなくなってしまったので、改めてこちらに載せることにしました。テーマは、「大学生に勧めたい南アジア地域の旅」です。
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「旅」をテーマにしたインタビューに答えてくださったのは、大学院総合国際学研究院の藤井毅教授です。藤井教授は、南アジア地域研究やインド近現代史をご専門にされており、イギリスやインドなどの海外で多くの研究をなされてきました。
今回は、豊富に持っておられる海外の知識や経験を通して、「大学生に勧めたい南アジア地域の旅」について、語っていただきました。インタビュアーがベンガル語科だったので、バングラデシュの話も多く盛り込まれています。
インドやネパール、バングラデシュに興味がある方、旅を有意義にしたいと望む方、必見です!
Q.先生が初めて海外に行かれたのはいつでしたか?
僕は、高校三年生の時だから1973年、今から43年前ですね。
Q.
どこにいかれましたか?
それは、インドだよ。インドとネパール。
Q.初めての海外で、インドを選ばれたんですね。その理由を教えていただけますか?
その時は、僕は高校生で、山岳部だったんだよ。山岳部にいる人間の常として、未踏峰に登りたいという欲望がでてくるわけじゃない。その時は、地理的に日本に知られていない国とか地域がたくさんあってね、例えばブータンなんかそういうところだった。それから、スィッキム(ネパールとブータンの間にあるインドの州)とかね。今はインドの一つの州になって誰でも入れるけど、そのインドの東北部のブータンとかネパールでも、旅行者が自由に入れない地域っていうのが当時あったんだよ。今でもあるけれども、そういうところを狙って旅行することが楽しい時期だったので、ヒマラヤは未踏峰でそう簡単に登れるわけじゃないから、とりあえず様子を見に行って。あとはインドに来て、そこでブータンに入れるかもしれないっていう情報があって、ブータンに入ろうとしたけどだめで…。その代わりアッサムの方を幅広く旅行することができたんです。これがきっかけになった。
Q.それがインド研究の原点に?
原点じゃないな、その前からインドには関心を持っていたから。
Q.
ではどうしてインドに興味を持たれたんですか?
ヒマラヤに行くには、平地のインドを歩いて通る必要があったから。単純なことだよね。研究とかじゃないんだよ。ヒマラヤにもともと関心があった。気づいたら、ヒマラヤよりも途中のインドの方が面白いんじゃないかって(思うようになった)。
Q.最初は、インドはヒマラヤに行くための通過点だったわけですよね。そのうちに、インドへの見方を変えた旅はありましたか?
その、たまたまヒマラヤに行く途中で寄った感じのインドの方が面白かったってことだよ。例えば、英語はつたないものだけど、英語で話そうと思えば話せたわけでしょ。ところがそうじゃない言葉が当然ある、ということをより濃密に実感できるわけじゃない。そうすると、英語以外の言葉を知るということは、それはもう新しい世界を知ることだっていうのを濃密に体験するわけじゃない?それがきっかけだったかな。
Q.
それは、言葉への興味ということですか?
いや、言葉への興味じゃないんだ。言葉が話されている土地と、そこに住んでいる人間への興味なんだよ。アクセスの手段として、言葉が話せたほうがよりいいわけじゃない。英語で見えてこない世界があるということは、図らずともわかったからね。
Q.インドには、今まで何回くらい行かれましたか?
いやあ、数えてないけれど、通算するともう五・六年住んでいるんじゃないかな。ぎゅーっと集めれば。
Q.インドで好きな場所はありますか?
好きっていうか…なんていうの、旅行していいなと思う、という意味で好きなところと、結局、僕が長くいたのはデリーだからね。なんだかんだ言ってそのデリーというのは、自分にとって、「インド」というとそこで暮らした経験があるところだから。「住めば都」というけれど、いいも悪いもデリーには、何とも言えない一種の愛着のようなものは持ってしまっているよね。好き嫌いを超えたところにある。
①より続き
Q.先生が大学生の時には、どんな旅にでられましたか。
僕、大学入ったのがすごく遅いんだよ。高校でてからうろちょろしていたからね。皆さんが卒業するくらいの年に大学に入ってきたから。で、入ってすぐ、一年生は休学できないから、勝手に休んじゃって、また半年くらいインドに旅行に行ったんだよ。それは、いろんなところ、といっても最初に行ったときに面白かったアッサムを中心とする東北部とかね、あんまり人が入らないアンダマン諸島とかね、ラッダークとか、辺境を狙うようにして旅行していたけれど。
Q.南アジア地域専攻の学生の必修科目である「地域基礎」で、アンダマン諸島のお話がよく出てくるのですが、その時の体験が今の授業につながっていたりしますか?
そりゃそうだよ。だってその頃はまだ、日本の占領の記憶を明確にとどめた人がいて、日本語が話せる島民がたくさんいたんだから。で、アッサムの方に行けば戦場になっていたから、軍票(※2)を山積みに持ってきて、戦後40年たって軍票の両替に日本人がやってきたと列をつくっておじいさん、おばあさんがやってくるような状態だったから。だから、自分としては日本との関係がここまで出てくると思わなかった。あるかな…くらいは思っていたよ、当然。だから、そこを選んだんだから。でも、行ってみるとあるかなどころではなく、(インドと日本の間には)非常に濃密な関係があるということを実体験として経験することができたんです。
Q.では、インドに今の大学生が旅行に行くときに、忘れてほしくない姿勢、明確に持っておいてほしい見方はありますか。
やっぱり、無事に帰ってきてもらいたいわけじゃない?そういう意味では、日本の感覚で行くと痛い目に合うことがあるということは意識しておかないと。日本の社会で普通だと思われている行為自体が通用しない世界だってあるわけだよね。いくらインドが急速に経済発展を遂げて、例えばデリーとかムンバイは、そこで暮らしている限り、東京で暮らしているのとほとんど変わりないような生活になるけど、それでもやっぱり社会のシステムとか慣行とか価値観は違うよね。だから、こちら(日本)のつもりで行くとちょっとえらいことに巻き込まれる可能性があるから、そこをまず注意してもらいたいという一般的な、大きなことはある。あとは、自分の頭の中にある先入観を確認するようなことではなくて、もっと別な角度で見るようなきっかけをどうやってつかむかだよね。
例えば、ジャドブプル(※3)に行くときも、コルカタという都市をまず経由しなければいけないわけじゃない?だから、そこでどういう反応をするかっていうことだね。
Q.先生の授業では、自分が「常識」として持っていた知識に疑問を呈することが多くあり、それが本当に面白いのですが、そこに「旅」の経験は関係ありますか?
いや、関係ない。それは勉強だよ。人によっては、旅行すれば、学ぶ人もいるのかもしれないよ。でも、経験がすべてを教えてくれると思ったら大間違い。経験が意味を持つにはそれなりに自分の頭の中にある「網の目」をより細かくしていかなきゃならない。それは、本を読んだりいろんな人の話を聞いたりして勉強するしかないですよ。旅に出ればすべてがわかるなんて、虚妄というか虚構ですよ。だから、よく海外に出れば何とかだっていう人いるでしょ。でも、何年住んだって、例えばインドに10年、20年住んでいる人を知っているけれども、なんにもわかっていない人の方が多いからね。それは単にいるだけなんですよ。ただ、どっかに行けばよいなんて言うのは虚構ですよ。だけど、行かないよりは行ったほうが良いと思うけれどね。
Q.その「いるだけ」にならないために何が大切ですか?
それはだから勉強ですよ。本を読みなさい。ありとあらゆる、森羅万象についてのね。
Q.先生は、大学生の時に読んで印象に残っている本はありますか?
たくさんあるよ。例えば、僕らの時は、海外にでるのが自由じゃない時代だった。どういうことかというと、外貨、ドルの持ち出し制限があってね、僕が最初に行ったときは800ドルくらいしか外貨を持ち出せなかったのかな。要するに、今とは違ったんです。ドルも1ドル360円で固定相場制だったし、日本の外貨準備高も低かったから、海外旅行で自由に外貨を持っていったら、国が傾いてしまうから、持ち出し制限があった。だから、海外に行くっていうのは非常に大変だったんだよね。大変だったから、ある面、大変さの反動として貪欲にすべてを吸収してやる、準備をたくさん、慎重にやって大変さに見合うだけのものを得て帰ってこようというのはあったけれど、逆にそういう時代に行くと、「なんだ、お前、日本のことを知りもしないで海外に行きやがって。海外の方がえらいと思っているんじゃないか」みたいなことをひがみ半分でいう人がいるわけね。それで、最初は「うぐぐぐ」って口ごもったけど、結局、往復なんですよ。海外に行って、逆にまた日本のことが面白くなって、また日本のことを勉強して、それとの比較で海外に関心を向ける。そういうことでいうと、僕にとって面白かったのは、日本民俗学の蓄積だね。柳田国男も読んだけれど、柳田国男よりも面白かったのが、宮本常一さんなんだよ。海外に行って、帰ってきて宮本常一さんの本を読むと非常に面白かったという経験はある。
だけど、それだけじゃないよ。もっと、いろんなもの、面白いものたくさんあるからね。あなた、金子光晴って知ってる?知らない?聞いたことない?勉強しなさい。金子光晴は吉祥寺にも縁があってね、サンロードにある古本屋の看板(※3)は金子光晴が書いたもので、(彼は)詩人なんだよね。戦前に海外を放浪した時のものが、中古の文庫で読めるんですよ。「マレー蘭印紀行」とか「ねむれ巴里」とか「どくろ杯」「西東」とか。そういうものを読むと、結局、若いから、まだ何もわからないでしょ。時代も明らかに戦前の金子光晴が生きた時代と僕らの時代は違うし、状況も違うんだけど、何かやっぱり、旅に対するあこがれを掻き立てられるものはあったよね。そういうものの繰り返しですよ。文庫本をもって旅先でそういうのを読んだり、帰ってきて読んだりして、っていう。だから、日本のことを知らなくてもいいということにはならないし、海外のことをやっていればそれで済むということでもなくて、両方の往復の関係だよね。その繰り返しですよ。だから、初めての海外で、何を見てくるかということだよね。行く前に、それなりの準備をしておくといいと思うけれど。
Q.「準備」という話が出ましたが、初めてインドに行く学生に、読んでほしい本はありますか?
一般的なインドの現代史の本とかね、山川出版社からでているような。それから、あなたが特に属しているベンガル語の研究というのは独特な発展を遂げるんだよね。要するに、大学の外にいた人たちがベンガル語の文学の研究にかかわることになるんですよ。それにはいろいろな理由があるんです。で、なんていうタイトルだったかな…「あの頃のインド」(※4)だっけな、日本で最初のベンガル研究の世代の人たちの人物スケッチの本があるんですよ。渡辺建夫っていうものかきが書いた本なんですけど、それを一回読んでみな。そうするとベンガル研究の出発点、丹羽さん(※5)の名前も出てくるから。どういう状況で起こったのか、ある日本の時代を非常に濃厚に反映しているんですよ。で、ちょっと日本のインド研究、南アジア研究の中では、違うんです。それはそれで、理由があることで。読んでみると面白いと思いますよ。
Q.
最後に先生にとっての旅とは何か、教えていただけますか?
一言では書けない。そんな一言で、かけたらあなた、苦労しないですよ。白紙です。
※1 ジャドブプル…ベンガル語科がショートビジットで訪れるカルカッタの大学名、Jadvpur
※2 第二次世界大戦中に占領地で日本軍が発行したお札の代替物
※3 「さかえ書房」2010年、惜しまれつつ閉店。
※4 渡辺建夫「つい昨日のインドー1968-1988」木犀社, 2004.4
※5 丹羽京子教授
・インタビューを終えて
時間にして20分にも満たないインタビューだったが、藤井先生の豊かな知識と経験に基づいた興味深い話に、終始心を掴まれていた。自分は、今まで、どこかに旅に出れば何かが変わるだろう、と漠然と思っていた。確かに、旅をすることで失うものよりも、得るもの、掴むことのほうが断然多いだろう。しかし、ただ漫然と海外に出れば益が得られるというのではなく、「日本と海外の知識の往復」をし、「自分の頭の中にある『網の目』を細かくする」ための努力をさらに払うなら、一つ一つの旅の経験がかけがえのないものになると学べた。
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