映画「テレビジョン」③考察のまとめ
考察の【1】では、テレビジョンを通してみられるバングラデシュにおけるベンガル人のヒンドゥー化を、【2】では、西ベンガル州のサンタル族のヒンドゥー化について学ぶことができました。
「ヒンドゥー化」により、それが特に未来のベンガルを形作る若者たちに大きな影響を及ぼし、それぞれ持っていた固有の文化や、言語が失われつつあるのが現状です。(言葉、サリーの着方など)
それで、もしこの映画に続きがあったとしたら…
、テレビジョンが村に入ってから、インドの番組を視聴するようになった村の子供たちは、ヒンディー語をまねて話すようになり、少女たちはインド風のサリーをねだり、若者たちは、インドの俳優にあこがれたライフスタイルを追い求め始めると推測されます。
、テレビジョンが村に入ってから、インドの番組を視聴するようになった村の子供たちは、ヒンディー語をまねて話すようになり、少女たちはインド風のサリーをねだり、若者たちは、インドの俳優にあこがれたライフスタイルを追い求め始めると推測されます。
この近代化の流れの中で、バングラデシュでも、西ベンガルでも、ヒンドゥー社会とのかかわりが増し、同化が進み、農村社会が解体されてゆく状況は、避けられないのかもしれません。しかし、その一方で、民族のアイデンティティを守ろうと格闘している人々がいることも忘れてはなりません。映画「テレビジョン」でも、村を出て、町に繰り出す若者たちが便利さを追求した近代文明の影響をどんどん受け、村を改革していこうとする一方で、「若者たちのためを思って」その動きに反対する老人たちがいました。この近代化の波と、ベンガルの社会が長い時間をかけて紡いできた文化をどれほどうまく調和できるかが、今後のベンガルの社会における課題であると私は思います。
☆参考文献
・南出和余(2013)「バングラデシュ シネコンに集う『ベンガルムスリム』」(総特集 混成アジア映画の海:時代を映す鏡―映画に見るアジアのナショナリティの揺らぎ)京都大学地域研究統合情報センター 地域研究13(2)pp335-341
・金基淑(1992)「二つの水、jalとpani―インド・ベンガル地方のポトゥア・ジャーティーの生業と宗教」民俗学研究57/2 pp149-173
・西村博行(1999)「バングラデシュの氾濫原における内水面漁業の営み」近畿大学農学部紀要 第32号pp79-93
・千葉たか子(2007)「マドプール村の開発―インド国西ベンガル州の少数民族の村の変化」青森保健大雑誌8(2)pp225-236
・千葉たか子(2008)「インド少数民族にみるヒンドゥー化―サンタル女性のサリーの着方の変化を基に」青森保健大雑誌9(2)pp123-130
http://archive.prothom-alo.com/detail/date/2012-09-22/news/291536
http://www.mediabangladesh.net/bangladesh-religion/
https://www.quora.com/Is-West-Bengal-India-now-a-Muslim-majority-state
http://www.saontalvoice.org/about_saontal_community.html
http://www.indianetzone.com/2/the_santhal_tribe.htm
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